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後楽園のタンチョウ in 岡山市

■2010年1月1日(金)
日本三名園の一つである岡山後楽園。お正月イベント初春祭の恒例行事・タンチョウの放鳥を見に出かけました。毎年テレビで見ていたのですが、今年初めて思い立ち、いざ後楽園へ。14時開始だったのですが(朝の部は10時)、30分以上も前から既に人だかり。地元の人や帰省客、観光客など、大勢の方がカメラ片手にいまかいまかとタンチョウを待ちわび・・・。鶴舎から飼育員とともに現れたタンチョウ様♪お正月早々、瑞兆といわれるタンチョウの優美な姿を見られるなんて今年はとっても良い年の予感!
岡山後楽園のタンチョウ
ゆっくり歩いて登場
岡山後楽園のタンチョウ
二羽ずつペアで
岡山後楽園のタンチョウ
仕草ひとつが絵になるタンチョウ様
岡山後楽園のタンチョウ
垣根を越える仕草にも歓声が
岡山後楽園のタンチョウ
少し羽根を広げただけでも華やか
岡山後楽園のタンチョウ
シュワッチ
岡山後楽園のタンチョウ
後ろの建物は鶴鳴館(かくめいかん)。山口県岩国市の吉川邸を移築したもの。武家屋敷のたたずまいを伝えています。
岡山後楽園のタンチョウ この日はとても寒い日でしたが、みんなタンチョウ見たさに辛抱強く待ちました。出てくるまで待ち、飛ぶまで待ち・・・。すぐに飛ぶものと思っていたら、園内をかなり歩くんですね。目の前を通って向こうに歩いて行って・・・人だかりで見えなくなっちゃって。けど飛ぶのを見ずに帰るわけには行かないと(たぶんみんな思ってたな)待つ、ひたすら待つ。う〜寒い、さぶい、さむいよ〜。(泣)そしたらまたこっちに戻ってくるタンチョウ様。ゆっくり歩いてるんだけど、いつ飛ぶのかな・・・。「今日は飛ばんのんかな。」「寒いけん、飛ばんのじゃろう。」とか呟きが聞こえてくる・・・。毎年全国ニュースにもなるあの綺麗な飛翔のお姿は果たして見られないの・・・?と弱気になりながらも待つ、待つ、待つ・・・。
そしてその時は不意にやってきた。「わぁ〜」とか「飛んだ〜!」という声で気づきました。人の声って影響力大なのね。見上げると二羽が飛んでいました。お〜、ホントに飛んでる、飛んでる、あっと、カメラ、カメラ、かじかんだ手で撮る、撮る、でも早くて・・・待って〜。
岡山後楽園のタンチョウ
待ちましたよ、タンチョウ様
岡山後楽園のタンチョウ
水鳥はたくさんいるけど、今日はタンチョウが主役
岡山後楽園のタンチョウ

飛んだ後は、一羽ずつ別々に。こちらは沢の池の前に佇んでいました。
岡山後楽園のタンチョウ
岡山後楽園のタンチョウ 岡山後楽園のタンチョウ

こちらは芝生の広場に。立ち姿も何かをついばむ姿もしっかり見ておきたい。
岡山後楽園のタンチョウ
しばらくして四羽一緒に飛翔
岡山後楽園のタンチョウ
沢の池の上をクルクル。早い、早い。
岡山後楽園のタンチョウ
岡山後楽園のタンチョウ 岡山後楽園のタンチョウ
飛び上るところと降りるところを目の前で見ることはできなかったですが、本物のタンチョウの飛翔姿を見ることができて良かったです。寒い中待った甲斐がありました。14時の開始から約1時間ほどのタンチョウショー。参加できたことに感謝です。けど、飛ぶ時間はあっという間ですね。それをうまく撮るのはとっても難しい。テレビで見るブンには良いところだけがパッパッと映像になってて「優雅だなぁ」なんて思ってましたけど、、実はこんなに忍耐力が要ったのね。(笑) ちなみに四羽とも雌だそうです。

ふだんタンチョウは園内の鶴舎にいます。そして2009年4月1日に政令市となった岡山市は、政令市移行記念として、2009年12月、タンチョウを市の鳥に選定しました。(選定に至る経緯はいろいろとありましたね・・・)
岡山後楽園のタンチョウ(鶴舎) 庭園都市おかやまの鳥”タンチョウ”選定

築庭当時から鶴が飼育されていましたが、戦後絶滅しました。そして、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院院長の郭沫若氏からタンチョウ二羽が贈られました。その後、釧路市の協力もあり、その美しい姿が園内によみがえりました。
郭沫若氏の誌碑 郭沫若氏(かくまつじゃくし)の誌碑
【園内案内文より】
誌の大意は「留学時代が懐かしい後楽園も、戦災で城を失った今の眺めは寂しい限り、せめて鶴を立たせて良き伴侶としたい」というもので、碑の文字は郭沫若氏の直筆です。昭和三十一年、氏のはからいで、中国から丹頂二羽が贈られました。

郭沫若氏の誌碑

特別名勝 岡山後楽園
岡山後楽園は江戸時代を代表する大名庭園です。岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて作られました。広い芝生や池、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるよう工夫された回遊式庭園です。明治17年(1884)に岡山県に譲渡され、一般公開されました。岡山城の後に作られたという意味で後園と呼ばれていましたが、「先憂後楽」の精神に基づいて造られていることから、明治4年(1871)、後楽園と改められたそうです。
廉池軒(れんちけん)
【園内案内文より】
戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども往時の姿を今に伝えています。この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。
廉池軒(れんちけん) 廉池軒(れんちけん)
流店(りゅうてん) 流店(りゅうてん)
【園内案内文より】
中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで休憩所として使われました。戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。

6月頃には、この周りで花菖蒲が美しく咲き誇ります。
岡山後楽園
八橋
八橋
異国情緒漂う蘇鉄畑
異国情緒漂う蘇鉄畑
井田(せいでん)
井田(せいでん)
(写真左)井田(せいでん)
井田とは中国周時代の田祖法で、田畑の一部を井田の形に作りました。毎年七月の第一日曜日には、お田植え祭が行われます。

(写真右)茶畑
江戸時代には、藩主がふんだんに飲むお茶として使われました。毎年五月の第三日曜日には、茶つみ祭を行っています。
茶畑
茶畑

沢の池
【園内案内文より】
園内中央にある池で、島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島があります。中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。
沢の池 沢の池(中の島)
中の島
沢の池(砂利島)
砂利島
沢の池にはたくさんの水鳥がいます。水の上に浮かんだり、集団で飛んだり。
沢の池にはたくさんの水鳥がいます。水の上に浮かんだり、集団で飛んだり。
慈眼堂(じげんどう) 慈眼堂(じげんどう)
【園内案内文より】
池田綱政が元禄十年(1697年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空堂となっています。境内には、花崗岩を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩、門と仁王像、板張の腰掛などが残っています。
害虫をあたたかい菰の中に誘導し、春に駆除する松の菰巻き。
害虫をあたたかい菰の中に誘導し、
春に駆除する松の菰巻き。
水車
水車
カモと鯉
カモと鯉
唯心山
唯心山
唯心山からの眺め
唯心山からの眺め
唯心山(ゆいしんざん)
【園内案内文より】
唯心山は池田綱政の子、継政の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。山腹には唯心堂があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。
延養亭(えんようてい) 延養亭(えんようてい)
【園内案内文より】
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。現在もこの景観の保全につとめています。
能舞台・栄唱の間(えいしょうのま)
能舞台・栄唱の間(えいしょうのま)
花葉(かよう)の池
花葉(かよう)の池
巨大な花崗岩を九十数個に割り、もとの形に組み上げた大立石(おおだていし)。
巨大な花崗岩を九十数個に割り、もとの形に組み上げた大立石(おおだていし)。
岡山後楽園 後楽園南門
後楽園南門

南門を出ると岡山城が目の前に
南門を出ると岡山城が目の前に
この季節は花や緑の鮮やかさはないのでちょっと寂しいですが、冬の凛とした空気を感じられます。四季折々美しい姿を見られる岡山後楽園。梅、桜、サツキ、花菖蒲、ハスの花、紅葉etc. 是非訪れていただきたい庭園です。
毎月いろいろな行事・イベントもあります。下記ホームページを参考にどうぞ。

岡山後楽園 四季催事のホームページ

岡山後楽園公式ホームページ

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