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旭川緑地(文化の小径) in 岡山市

■2009年6月20日(土)
旭川河畔、京橋から相生橋までの水之手筋上方の小高い遊歩道、旭川緑地。花壇やベンチなどが設置され、樹木に癒されながら、旭川や橋を通る電車を眺めてのんびり過ごせるスポットです。石碑等もあり、文化の小径として整備されています。
旭川緑地(文化の小径) 旭川緑地(文化の小径)

旭川緑地(文化の小径)
旭川緑地(文化の小径)

旭川緑地(文化の小径)
岡山県里程元標(旧)
岡山県里程元標(旧)

岡山県里程元標(新)
岡山県里程元標(新)
岡山県里程元標説明文
岡山県里程元標説明文

橋姫稲荷大明神
橋姫稲荷大明神
【岡山県里程元標説明文より】
岡山県里程元標は、岡山県の里程起点を標示するもので、明治九年京橋西詰に設置されその後幾度か立て替えられているが、この岡山県里程元標は明治四十年に立て替えられてから大正四年京橋が付替え工事の頃まで設置されていた。
当時の陸上交通に大きな役割を果した貴重な歴史的資料であり、今回同元標の設置場所に近い現位置に復元したものである。なお派出所前の現在の道路元標は、旧道路法により大正九年に立てられたものである。
岡山中央警察署 京橋立寄所
岡山中央警察署 京橋立寄所
”きやうばし”の表記がレトロな京橋
”きやうばし”の表記がレトロな京橋
土木学会選奨土木遺産 京橋
土木学会選奨土木遺産 京橋
噂のたま電車、京橋通過中
噂のたま電車、京橋通過中
迷子しるべ

迷子しるべ
京橋渡り初めの図
【京橋渡り初めの図】
岡山市立図書館所蔵「国富文庫」のなかの一点で、弘化四年(1847)に描かれた木版画。

【迷子しるべ】
京橋界隈は迷子が多く、明治25年11月に市役所が、「たつぬる方」「しらする方」と彫られた石碑を建てました。市民が書きものを入れるために上に穴があります。現在の石碑(写真)は、昭和57年7月に復元したものです。
俳人 住宅顕信 俳人 住宅顕信(すみたくけんしん)

1961年(昭和36年)3月20日 岡山県岡山市にて生誕
1987年 骨髄性白血病にて死去
享年25才
創句期間 2年8ヶ月
総句数 281句
句集「未完成」弥生書房
旧橋本町 旧川崎町
京橋火の見櫓 京橋朝市会場
京橋朝市会場

京橋朝市会場
”燃えろ岡山”の文字
【京橋火の見櫓説明文】
登録有形文化財 京橋火の見櫓
2006年1月20日、高さ21,1m、四脚の山形鋼製の鉄塔である火の見櫓は周辺の京橋(日本建築会推薦土木遺産)、京橋水管橋(登録有形文化財)と並んで岡山の近代化を代表する景観であると評価され、登録有形文化財となりました。
・1924年(大正13年)頃よろず屋を意味する「万納屋」こと坪田利吉(1890〜1944)は岡山市内を大八車で行商に励み私財を投じて火の見櫓を寄贈。(その数は12基に上り4基が現存する、中でも京橋火の見櫓は最大規模である。)
・それから80年余り火災や水害に加え、1945年(昭和20年)の岡山空襲でも急を知らせ、岡山の人々の暮らしを見守ってきました。
・1989年(平成元年)9月より住民有志により、京橋朝市が開催され、地域の活性化のシンボルとして注目される。(毎月第1、日曜日に沢山の屋台が立ち並び、賑わいを見せている。)
・2004年老朽化が進み撤去の話が持ち上がりましたが、川崎町町内会を中心に内山下連合町内会から市に保存を求める運動が起こりました。
・2005年9月には望楼の屋根の補修及び錆落とし、そして塗装を行い、銀色に輝く美しい姿を取り戻しました。
・2006年1月20日登録文化財と認められ、ひとつのシンボルとして旭川と共に、街の景観に溶け込んでいます。
京橋火の見櫓は岡山の人々の歴史を見守ってきました。そしてこれからも地域の愛情に守られ、人々の営みを見守り続ける塔であってほしいものです。
森崎稲荷神社 愛染の樹
男木
男木 
女木
女木
森崎稲荷神社
縁結びの神様です。神社の右に男木、左に女木があります。
”愛染の樹”と書かれた説明文がありますので、意中の人を想いながらお参りしてみてはいかが?
電信発祥の地
電信発祥の地
明治六年(一八七三年)十月一日
この地に岡山電信局が開設されました。
旭川緑地
少年 −遠望−
少年 −遠望−
小林 照尚  1989作
京橋の橋脚 【京橋の橋脚説明文】
 京橋付近は山陽道と旭川との水陸交通の要所として、明治の中頃まで岡山の表玄関としての繁栄を続けていました。
 京橋は文禄年間(1595年頃)、宇喜多秀家の時代に現在の場所に木橋で架設されたもので、その後、洪水等により橋は幾度も流失を繰り返していました。
 ここに復元した石材橋脚は、京橋(大正6年架替)の基礎補修工事を平成三年から四年にかけて実施した際に旭川の河床で発見されたものです。この橋脚には、西暦1681年にあたる「延宝九年辛酉十月日」と刻まれており、「天和元年 留帳」(岡山大学付属図書館蔵池田家文庫)の「京橋繕被仰付覚」に
 一 柱中通り三本根入無之故少ノ水出申刻も殊外うこき申二付
   其段申上石ノ扣柱三本立ル
  西より一 一 壱本八 地入六尺七寸地より上壱丈三尺三寸
  西より二 一 壱本八 地入七尺壱寸地より上壱丈三尺四寸
  西より三 一 壱本八 地入七尺地より上壱丈三尺弐寸
 右八七月廿七日より取懸り八月十八日出来通り初池田大学日置
 左門
と記述されているところから、当時、京橋補修に使用した石材の一部と推定されています。
 八角柱は大きな流下物が直接橋脚に当たるのを防ぎ、橋脚も水の抵抗が少なくなるように工夫され、洪水に対する配慮がなされた形状、構造となっています。
表具師幸吉之碑 【表具師幸吉之碑説明文】
備前岡山の表具師幸吉は鳥のように自由に空を飛べたらと考え、鳩の体重と翼の大きさの割合を人間にあてはめて大きな羽翼を作りこれをからだにくくりつけて京橋の上から旭川の河原に飛行することに成功しました。これが人間が空を飛んだ最初の記録とされています。 天命五年(1785年)幸吉が二十九歳の時で米国のライト兄弟より一一0年以上も前のことです。
わたくし達は岡山に表具師幸吉の様な先覚者のいたことを誇りに思っています。
手づくり郷土(ふるさと)賞
手づくり郷土(ふるさと)賞
花と緑の手づくりふるさと三十選
平成二年七月
旭川緑地 旭川緑地
旭川緑地 旭川緑地(京橋) 旭川緑地
真っすぐに 物の見え来ぬ 夏燕 真っすぐに 物の見え来ぬ 夏燕
星燈
夏目漱石逗留の地
生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉
漱石
夏目漱石 猫
【夏目漱石逗留の地説明文】
 明治二十五年(一八九ニ年)七月、漱石は、大学の暑中休暇を利用して、松山に帰省する正岡子規と共に関西方面を旅している。漱石は神戸から岡山に向かい、亡くなった次兄直則の妻であった小勝の実家・片岡家(岡山市内山下町百三十八番邸)に一ヶ月ほど逗留している。その間、三泊四日で、再婚していた小勝を上道郡金田村(現岡山市金田)に尋ねて歓待されている。
 また七月二十三日、二十四日には旭川氾濫による大洪水に見舞われている。
 尚、石碑に刻まれた句は、明治四十三年(一九一0年)の「修善寺の大患」を経て、その療養中に詠まれた漱石の代表的句の一つである。
岡山城二ノ丸東門(下水手門)跡
岡山城二ノ丸東門(下水手門)跡
家族
家族
1988 制作 重岡建治
監修 彫刻の森美術館
旭川緑地
岡山城郭について
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【岡山城郭について説明文】
 岡山藩の城府である岡山城郭は、戦国大名の宇喜多秀家が一五九0年代に築城し、以後の城主の小早川秀秋や池田家に城普請が引き継がれ、四代目城主の池田忠雄の時(一六ニ0年代)に完成をみました。
 城郭の構成は、本丸を中心にして一方に郭の広がる梯郭式の縄張りになり、本丸・二の丸内屋敷と二の丸・二郭からなる三の曲輪と三の外曲輪の、三段構えの六区画から成り立っています。本丸には、天守閣を始めとして櫓一八棟・多聞櫓六棟・城門一三棟、さらに御殿・表書院・鉄砲蔵・金蔵・長屋などの建物が立ち並んでいました。二の丸には、櫓一六棟・南側の大手門を含めた城門一0棟を始め、殿舎・長屋・土蔵・評定所や勘定所などの役所、さらには重臣クラスの邸宅や武家屋敷が配置されていました。三の曲輪と三の外曲輪は、城下町にあててあり、内側には町人町を設け、外側に侍屋敷を配して城郭周辺部の固めをなしていました。
城 郭は、東西約一km・南北約一.八kmの規模になり、背後を旭川の天然の要害で固め、縄張りの各区画が堀で区切られ、二十日掘と呼ばれる幅約三十mの外堀が城府を画していました。
(絵図は正保年間(一六四四−一六四七)の備前国岡山城絵図を基にして描写)
新堰ゲート管理のための管理橋
新堰ゲート管理のための管理橋
岸辺の夢
岸辺の夢
1988年 三木勝 作
いつもみまもってくれてありがとう
いつもみまもってくれてありがとう
旭川緑地 旭川緑地 相生橋
緑、花、石、川、橋、鳥etc. 市街地にありながら癒されるおすすめの空間。まったりと散策してみてくださいね。

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