(半券裏面説明文) この建物は、明治40年5月、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、ご宿舎として、もと鳥取藩主池田仲博公爵によって、扇御殿跡に建てられた。設計は明治建築最高の傑作である赤坂離宮の設計家として有名な宮廷建築家片山東熊博士によるものと伝えられれ、工部大学校での片山東熊の後輩にあたる鳥取県出身の建築家橋本平蔵が補佐し、地元の工匠浜田芳造が施工にあたったものであり、フレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で、中国地方屈指の明治建築として有名である。櫛型ペディメントを主要なモチーフにした端正な正面のたたずまいに、屋上の棟飾りや階段室の八角尖頭屋根が変化を与え、背面一・二階吹放しのベランダは、軽快で美しい構成を示している。内部は、御座所・謁見所・御食堂の主要室をはじめとして、一・二階の各室とも室内装飾に意が払われ、マントルピース(暖炉飾り)・カーテンボックス・シャンデリアなどの細部意匠にも見るべきものが多い。殿下ご到着の当日に、鳥取県下ではじめて電灯が灯されるなど明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。「仁風閣」の名は、行啓に随行した東郷平八郎元帥によって命名されたもので、その直筆の額は、二階ホールに現在も掲げられている。 |
■1989年?月 フレンチルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建ての建物は目を惹きます。 財団法人鳥取市文化財団のホームページ 車で鳥取砂丘のそばを通ったのですが、降りなくてまだ砂丘未体験です。白兎海岸というネーミング、いいですね。 |